腕時計喫茶

「微妙」な時計を愛してる

「格付け」という余計なお世話

いつも覗いてくださっている方に日頃の感謝を(*´ω`*)

ところで、皆さまのお好きな腕時計メーカー(ブランド)は何というブランドですか?昨年の初夏辺りまでは腕時計に微塵も興味のなかった」男である私からすれば、長年腕時計に関する情報を収集されてきた皆さまが、実のところどういうブランドの腕時計に身銭を切ってきたのか・・・非常に興味があります。

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それは王道の「ロレックス」でしょうか?うちの父も大ファンだった「オメガ」でしょうか?「パテック」まで行っちゃった方や、「男は黙ってGS」っていう方もいらっしゃるかもしれません。

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さて、こちらで何度かお伝えした通り、私の好きな腕時計ブランドは「王道」からも「覇道」からも大きく外れています。

「王道」も「覇道」も歴史が価値を生み、価値が支持を生んで現在のステータスに繋がってきたのは解ります。歴史は確かに重要です。基本的には「長く」「途切れること無く」続いてきたタフな老舗に対する印象は好意的なものと言えるでしょう。腕時計を愛する人たちの意識の中で、高い格付けを与えられるものとして。

ただ、私自身としては、新進気鋭の時計好き経営者率いるブランドに、どんどん業界をかき回して貰いたいのです。私自身、権威やなんや「ありがたいもの」から遠く離れた人間ですので、既存の価値観を壊してくれそうな「若い力」には常に注目しています。

そもそも、腕時計の真の価値とは何なのかと考えることがあります。

腕時計好きの方に聞けば、中身の話をされることが多いかもしれません。確かに中心となるメカニズムの部分に纏わるストーリーは、マニアックなファンのカタルシスを呼び起こします。メカの良し悪しは勉強して「理解」することが一番容易な部分とも言えます。貴金属としての価値も直接腕時計のステータスを高めます。それが優れたデザインと共にであれば尚の事です。多くの優れた才能が作り上げた「小さな機械の小箱」は長い時間をかけて、単に時間がわかれば良いという物から脱し、何か別の価値あるものになってしまったのでしょうか?最近の若い人が腕時計を買わなくなったのは、そういう縁遠い存在に対して身近な憧れを持てなくなったからなのかもしれません。

「マニファクチュール」という言葉があります。時計のパーツ(必要なら金属そのものさえも)を全部自分たちで作ってしまう集団や企業のことですが、それらのメーカーで作られたものに「価値」があることは確かです。しかしそれら個別な「価値」を安直にまとめて、何某かの「格付け」を行うことに対しては、ものすごく違和感を感じます。ぶっちゃけ余計なお世話です。

ネット検索でほんとに安直な・・・腕時計のブランド格付けに出会うことがあります。興味本位で覗けば(納得できる部分もありますが)殆どが近視眼的な分析(小売価格の大小を格の上下に置き換えただけのような)です。

 

何度か書きましたが、正確な時間を手軽に知りたい「人類」「チプカシ」のようなチープで高性能な時計を得たことでとうの昔に大勝利を収めているわけです。そこに未だ存在する「大いなる無駄」としての高級腕時計の価値を見出すなら、小売価格、ましてや「リセールバリュー」などといった、くだらないものは一旦忘れてほしいのです。

ハッキリ言って、高級腕時計なんて「無くても全然困らない」モノなんですから。

それでも私は腕時計が大好きですし、これからもせっせと働いて買い求めていくでしょう。私自身は折角手に入れた腕時計を手放すつもりはありませんから、中古市場での価値は関係ありません。売れ筋、人気商品と言った価値も、私の性格的に反作用しますので私の評価する「価値」には含まれません。

大好きな「Bell&Ross」「GRAHAM」も王道時計好きな方からは散々な言われようですが、この2つのブランドに共通した「反骨心」が好きです。私みたいな世界中の変わり者に支持されて、一般の人にも知られるブランドになればいいなと思ってます。ファンの本懐でしょうね、それが。

価格を超えた品質をもたらす作り手(メーカー)の気持ちがこもった腕時計に出会った時の感動は、無理して高い買い物をした時の興奮と比べてなんら劣るものではないと思います。自分自身の審美眼を鍛えて、人とは違う価値を見つける楽しみこそ、私の醍醐味です(*´∀`*)