腕時計喫茶

「微妙」な時計を愛してる

腕時計購入の「動機」を考える

 最初にお断りを。私は至極フツーの会社員ですので、大金が財布の中で唸っているようなお大尽ではありません。何の自慢にもならない話ですが、それが現実です(;´∀`)

 

 そんな私でも、たまには…極々たまには、大好きな腕時計を購入することがあります。狙い続けた一本を満を持して手に入れる場合もあれば、瞬間的なインスピレーションを頼りに勢いで買ってしまうこともあります。

 私自身は貧乏性ゆえに、数万円の買い物でも必ず「小さな後悔」を感じるタチです。「買ってやったぜ!」みたいな喜びが「8」とすれば「我慢できずに買っちまった…」「2」。概ねそんな感じの心理状態になってしまうのです。

 そんな時にすがるのが、腕時計を購入した事実を論理的に正当化させるための「動機付け」です。要するに何らかの外的要因が心理に作用して「腕時計を買わなくてはおさまらない」状況になったのだ…と思い込みたいのです。うわっ!他力本願!文字に起こすと男らしさの欠片もないなぁ…(;´Д`)

 

 私は万事こんな感じの野郎でして、何事にも原因や理由を探して納得しなければ気がすまないタイプなのです。超文系の人生を歩んでいながら、頭の中はもの凄くロジカル…自分で自分のそういう考え方に、度々疲れを感じる有様です。

 

 そう言うわけで、好きな腕時計道楽を続けているにも関わらず、心のどこかで心理的な罪深さを感じてしまう私のような小心者が、それでも何とか新しい腕時計をお迎えできるピンポイントなタイミングとその「動機」をご紹介します。はいご明察。半分はこじつけです(笑)

 

 

 

祝い事があったとき

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 まず、時計購入の機会として、最も素直に受け止められるきっかけは「誕生日」「結婚(結納)」といった「祝い事」でしょうか。

 そういうハレの日に頂戴したり購入したりした時計には特別な思い入れが宿って、おいそれとは手放せなくなります。そういった腕時計は使う都度、じんわりとアニバーサリーな気持ちが蘇ったりするものです。

 忘れ得ぬ感謝の気持が染み付いた腕時計と過ごす時間…ロマンがあると思いませんか?

物事を仕切り直すために

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 自分を励ましたり勇気付けたりする時にも、大きな額の買い物をする傾向はありますよね。これは悪い流れを断って仕切り直したい…一種の「区切り」としての購入です。厄除け祈願みたいなものですかね。

 私の手持ちにもそんな気持ちで願をかけた時計が何本かあります。もはや立派な御守りです。この身を守護してくれる御神宝の数々。ありがたや~(*´∀`*)

頑張った自分へのご褒美として

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 「自分への励まし」と被るケースもありますが、私が用いる動機付けの中では一番ポピュラーなお題目です。

 「ヤバい仕事」が山積みになって、いつも以上に頑張らないと乗り切れそうにない場合に、心理的な目標…いわゆる「ニンジン」として「腕時計購入」をぶら下げるのです。少なくとも私には効果絶大。ここ数年の苦境はだいたいこの「ニンジン作戦」で乗り越えてきました。

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グラハムの「クロノファイター」も仕事で頑張ったご褒美時計でした。

 ただ、あくまでも自己評価が起点になっているので、甘く考えれば幾らでも都合よく褒美(腕時計)を手にすることが出来てしまいます。事実、後々に振り返って「褒美を貰うほどでもなかったなぁ~」と思ったこともありましたっけ(;´∀`)

 

 

 

ヤケッパチな気分になったとき

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 人間ですから、無性に腹が立つ時もあります。放っておけば暴れて身近な人に迷惑をかけてしまいそう…そんな時に一種の代替行為として好きなもので散財するのです。

 これは云わばガス抜きでして、人によっては無心に筋トレに励んだり、一心不乱に酒を呑んだり、ちょっとエッチなお店に足を運んだりするかもしれません。

 私の場合はそれが「腕時計購入」なのです。

 セルフコントロールが難しいレベルの憤りを感じたときに「ええぃ!欲しかったアレ、買ってやる!」ってな感じに怒りのベクトルを全く関係ない方向に転換してやるのです。

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ケンテックスの「マリンマン・シーホースⅡ」。仇討ちみたいな気持ちで買った記憶が…

 そうすることであら不思議。「そう言えば、何で怒ってたっけ?」みたいな調子で怒りの原因自体が朧気に薄まります。確かにお金は使っちゃいますが、これは平和維持のために必要な費用負担ということで。

大きな幸せを感じたとき

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 仕事がうまくいったとき、誰かに誉められたとき、それまで出来なかったことが出来るようになったとき、家族や友人との間に深い絆を実感できたとき…そういう文句なしの「幸せ」を噛みしめるとき、多かれ少なかれ人は気持ちが大きくなるようでして。普段は超が付く「ネガティブ思考人間」の私でさえ、万事を前向きに考えられるようになります。

 そうなると、ついでに財布の口も緩くなってしまうのです。「一旦諦めたあの時計…買っちゃおうか!」なんて気持ちもフツフツと沸いてきたりして。

 それは「幸せのモメンタム」…とでも言いましょうか、パチンコのフィーバー状態のように、全てが幸せの冠付きで連鎖しはじめるのです。幸せホルモンがドバドバ出まくってる状態ですから、私みたいに貧乏性のオッサンにも、後ろめたさを感じることなく腕時計を買えたりします(*´∀`*)

 こういう心理状態の時に購入した腕時計は後悔を考える必要性が薄い分、総じて冒険的な時計が多かったと思います。数年前まではしんどい宿直勤務もありましたから、泊まり明けの日に解放される幸せ気分に任せて買ってしまった時計が、少なからずあるワケです。

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幸せムードの中で手に入れた複雑時計のエポス「ナイトスカイ」。こういう遊びのある時計は気持ちが軽くなっているときにしか買えません。

 如何でしたでしょうか?って訊かれても困っちゃいますかね?

 私にしたところで、昔は単純に「欲しくなったら買う」でよかったんです。それが20数本あたりから何となく良心の呵責を感じ始めました。

 そんなこんなで自分の中でも明らかに「持ち過ぎ」だという自覚の現れから、何かしらの外的要因による「致し方ない状況」を言い訳にするようになってしまったのです。

 「腕時計に惚れる」という根源的な感情そのものは、最初の一本から何も変わっていないはずです。「欲しい!」という想いもきっと同じ。しかし「動機なき衝動」を真正面から正当化できるほど、今の私はピュアではないのかもしれません。

 どんな種類のコレクションでも必ず「集めてきたことを振り返る」瞬間があるはず。それはどんなキッカケで起こるかも解りません。悦に浸ってコレクションをサカナにビールをあおる至福の瞬間に、それはやってくるかもしれないのです。

 その瞬間、コレクションの一本一本に対して手に入れた当時の想い…「動機」を重ねられるなら、決して後悔はしないはずだと思います。言い換えるならそれは、個々に刻まれた「ストーリー」なのです。長い年月を共に過ごす腕時計という存在には、持ち主の数だけスペシャルな「ストーリー」があると、私は思っています。

 

 読んで下さった皆さまは、どんな「動機」で腕時計を買われたのでしょうか?そしてそこに、どんな「ストーリー」をお持ちなのでしょうか?悲喜こもごも、どんな思い出も受け止めてくれるのが腕時計のよいところ。それはその腕時計だけの「個性」ですから、傷やへこみと合わせて愛してあげて下さいね(*´∀`*)