腕時計喫茶

「微妙」な時計を愛してる

東京の腕時計と大阪の腕時計

 久方ぶりでございます。「腕時計大好き」suna_fu_kinです。いろいろと身辺が騒ぎまくって大変でしたが…何とか生きてます(;´∀`)

 

 人事異動の発令を受けて、10月から東京で一人暮らしを始めました。細かい経緯と経過はいずれ「愚痴」として書かせていただくとして…慣れない街と慣れない職場での苦しい1ヶ月がバタバタと過ぎて行きました。

 仕事をする上での時間は枯渇しまくっている状況なのに、全体の印象は「とても長くゆっくりと感じた1ヶ月」でした。恐らくこの先、私は3年以上、東京に留め置かれるものと予測しています。つまり、短く見積もっても大阪本社帰還まで、まだまだ35ヶ月もあるわけです(´;ω;`)

 

 一刻も早くこの生活に慣れないと、精神的にやられてしまう。

 心なしか生え際も後退してきました…(@_@;)

 

 これまで、大阪本社に異動でやってくる東京の人の印象は、そのほとんどが「妙に格好付けの人が多い」というものでした。実際、外見がシュッとして、格好の良い人が多かったわけですが…それが何やら壁を感じさせることに繋がり、近寄りがたい雰囲気を感じていました。

 当然、私自身が東京本社に異動すれば、周りは「近寄りがたい人」ばかり…と思いきや、案外…特に他部署の方々からは「この時期に東京異動は大変でしたね~」といった気遣いや労いを受けることが多くありました。短絡的に「東京は冷たい」と決めつけがちなのは、多くの関西人に共通の悪い癖です。

 

大阪王将 オリエント キングダイバー

帰れないならせめて「大阪王将」のギョーザでも味わおうかと…

 

 

 

 さてさて、久しぶりに腕時計の話。

 私が現在借りている賃貸マンションは、西新宿と中野区の真ん中辺りにあります。その昔、この辺りに小さな事務所を借りて商っていたことがあって、何となく記憶に残っている土地勘を頼りに決めたわけです。まぁ実際は、年月の経過で古い記憶など全く役に立ちませんでしたが…(´;ω;`)

 今の場所に住居を決めたザクッとした理由はそんな感じですが…実はもう一つありまして。「腕時計のお店に近い」からです。

 東京メトロ丸ノ内線でスルッと行ける「銀座界隈」。そして中野ブロードウェイを中心に形作られる「JR中野界隈」。歩いて行けちゃう「新宿界隈」。そのどれもが全国的に知られた腕時計販売の中心地です。関西に住んでいた私にとってもそれは垂涎のエリアでしたし、それらに30分以内でお邪魔できる環境として、西新宿はうってつけの場所でした。

 

 これまで長年に渡り「心斎橋界隈」という、関西の腕時計好きにとってメッカに等しいエリア近くに住んでいた私からすれば、東京異動という抗えない理由であっても、腕時計の香りがする街から遠のくことは耐え難く、にわかには受け入れ難いものでした。

 確かに本社のある大手町に通うことを考えれば、皇居のエリアを迂回する丸ノ内線での通勤は少し遠く感じます。しかし、そんな負担を差し引いても、気が向いたときに実物の腕時計に「会いに行ける」環境は、腕時計馬鹿の私の「心の平安」「知識欲」を満たすために、とても大切なことだったのです。

 

 ってなわけで、腕時計ウォッチャー的にはベスポジな我が家(仮)ですが、今の所、ほとんど腕時計を見に行く時間を作れていません。実はまだまだ本業の方で絶賛苦戦中でして…何となくですが「てめぇ!遊んでる場合じゃねーだろ!」ってな感じなのです(;´∀`)

 それでもWEBやネットショップから腕時計の情報を集めまくっては「仕事に慣れたらご褒美に一本買おう!」と企む日々です。いつのことになるやら…ですが。

 

 この一月はほとんど「家と会社の往復生活」を送ってきたわけですが、そんな変化に乏しい毎日の中でも、ちょっと面白いことに気が付きました。

 

 東京本社でも大阪本社でも、うちの会社の社員であれば、その生活レベルはそれほど変わらないはずです。個人が趣味に使えるお金にも大差はないと思います。

 大阪本社では、ある肩書以上になると途端に「ROLEX使用率」が高くなるという現象がありました。モデルはまちまちでしたが、会議に出席したほぼ全員がROLEXなんていう日もありました。ちなみに女性もROLEXでした。

 ところが…たった1ヶ月の間の観測結果なのでアレですが、東京本社の会議では全く異質な風景が広がっていたのです。

 会議などではっきりと確認できたものでは「ジャガー・ルクルト」「ジン」「モーリス・ラクロア」「チュチマ」「グランドセイコー」。すれ違いざまや立ち話で何となくのシルエットから推測したものですと…「ブレゲ」「ヴァシュロン・コンスタンタン」もありました。うちのお給料でオーバーシーズ買えるんやな(;・∀・)

 

 

 

 地下鉄に乗っていても新宿を歩いていても感じる、大阪とは比較にならない東京の「人の多さ」。まるで自分が街を構成する「無個性な記号」になってしまったかのような錯覚すら覚えます。それは「個人が埋没しがち」な現代にあっても、ここ東京では特に顕著なのではないかと思います。きちんとセルフプロデュースしなければ、あっという間に「自己の存在」がかき消されてしまう…東京にはそういう怖さがあるような気がしてなりません。

 ROLEXは腕時計の購入選択における「完璧な正解」の一つであることは間違いないでしょう。鉄板の如く安定した価値は購入後も長く変わらず、アンティークになると別の市場価値が生まれたりもします。

 しかし、高すぎる知名度と人気が仇となって「個性の獲得」という点では物足りないのも確かです。身に着けることで、自分がエバンジェリストになることで、この先の評価を変えていくという密やかな楽しみと満足感は、ROLEXの時計からは得づらいのです。「しっかり稼いでるよ!」「頑張ってるよ!」という証明にはなるでしょうが…

 

 東京本社で様々なブランドの時計を愛用する人たちの姿を見るにつけ、私の目にはそれが「埋没してたまるか!」「記号になってたまるか!」という個々の反骨の意思のように感じられたのです。もしかしたら東京に暮らす人はそもそも、多様な情報から他人と「被らない」ものを選択する意識が強いだけなのかもしれません。

 しかし、私にとって馴染みの薄い東京という街で暮らし始めて、何と言いますか…大阪とは「個性」のあり方が大きく異なるような気がしました。

 大阪は暮らしている人の見た目のインパクトからして「個性的」で、それを外側に放射する傾向が強いと思います。あからさまにドヤってる人が多いですし、その辺の衝突は日々、当たり前にようにありました。

 しかし今思えば、大阪の個性的な人はいわゆる「ステレオタイプ型」が多かったように思います。東京にはまず存在しないであろう判で押したような「ヤンキー」なんかはその典型です。本来の意味で言えば、それは個性的とは言えない一種の「伝統的な型」に過ぎないのです。

 

 私にはまるで似つかわしくない、大きな会社や銀行の本社が集まるような大手町で働きながら行き交う人をウォッチしてみると、量産型のビジネスマンの集団に見えて、その実どこかに「個性」を感じさせる人が多く存在することに気が付きました。

 新しい価値観をキャッチすること自体は、現代の日本では全国津々浦々で可能なことですが、その新しい価値観を生み出すことは、やはり限られた場所に委ねられているのです。東京で働く人たちからは、そんな「中央で時代を作っている」ことに対する矜持を感じています。

 

 これまで、どちらかというと無色透明に見えていた東京が、実は細かすぎる価値観のモザイクだったことに気がつけたのは収穫でした。実際、わずか一ヶ月の間に、私が着けて出社したミドルブランドの腕時計(有名とは言い難いもの)に対して「それ着けてる人初めて見たよ」みたいな反応を数回いただきました。これは大阪ではほとんど無かったナイスなリアクションです。微妙な腕時計好きとしては冥利に尽きますね(*´∀`)

 

 今後、腕時計趣味を通じて新しい東京の友人ができれば、東京生活も楽しくなるのですが…ねぇ(;´∀`)