腕時計喫茶

「微妙」な時計を愛してる

飽きっぽい男の「腕時計趣味」

飽き性です( ゚д゚ )

それはもう幼き頃から、あらゆることに飽きっぽい性分でした。それ故に、何かを根気よく蒐集するといったことに興味が持てず、一世を風靡してきた様々なブームとも一定の距離を置いて生きてきました。つまらない男です(´・ω・`)

その飽き性で拘りの薄い私にとって、唯一と言ってもいい継続中の「モノを集める」趣味が、「腕時計蒐集」です。1990年代から細々と始めた趣味ですが、不思議なことにこれだけは飽きる気配がありません。

 

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これまで蒐集の「玄関口」には立ったものの、都合で撤退した案件を上げますと…

◎Tシャツ蒐集

(時間が経つと白い部分がどんどん黄ばむのが嫌になって止めた)

ジーンズ蒐集

(いつの間にか太って履けなくなって止めた)

◎ブーツの蒐集

(靴箱の場所を取りすぎて怒られて止めた)

 

ちゃんと「止めた」理由が明確に思い出せます。それなりに無駄金も使っているわけで…( ゚д゚)腕時計の蒐集はそれらと比較にならないほどお金を使いますが、それでも何故か根気よく続いています。その理由を今の自分なりに考えてみました。

 

◎時計のデザインは寿命が長いから飽きない

各時代の流行りのデザインは確かにあるものの、業界が一斉に同じ方向を向いたデザインで収束するようなことは少ないため、新旧のデザインが常に「現行品」として同時代の市場に存在する。定期的に歴史を逆進するヒストリカル・コレクション」のような再評価の機会も多く、古いデザインだからといって、苔むすようなことがない。宝飾品ほどではないにしろ、古いものに対する畏敬が存在する。

 ◎男子唯一の飾り物という存在

男が身につける指輪もネックレスもピアスも、要は「女性の真似」である。むさ苦しい男が僅かに「可愛らしく」見せることで、逆に男性的な魅力を底上げしようとする小憎い策である。対して腕時計は「男子唯一の飾り物」としての一面を持つ。時刻を確認するという実用性、精密で小さな機械を身に着けるという男のロマン、そしてそれらを包む機能美に優れたデザイン。腕時計は男が身に着けることで「自分自身を映す鏡」となり、それは他人から見れば「公開された履歴書」となる。単純な貧富のステータスとは異なるモノサシとしての意味、センスや人間性を浮き彫りにする特性こそ、腕時計の「実用性」の最たるものである。

 ◎年令に応じた楽しみ方がある

ジーンズ」「Tシャツ」と違って、「腕時計」はこの先、歳を重ねてからが本番ではないかと思う。現役の時のような収入が得られなくなっても、その分「時間」が豊富にあるだろう。その時間を使って勉強し、安くて面白い時計に出会えるんじゃないかと思う。登山に例えれば、今はまだ「6合目」がいいところだろう。

 ◎絶妙なお宝感

それなりに「高価」だが、頑張れば「手が届く」。私のような小者が憧れるには丁度いいポジションにあるお宝が腕時計だ。「高級品=欲しい」とはならないのもゲーム性が高い。価値観を構築する道程こそが一番の楽しみであり、その価値観ごと共有できる同志に出会えたときにはより大きな喜びを感じることができる。

 

ざっと以上のような感じですが、要するに自分自身の人間的成長とリンクして、その価値や見方が変化するのが腕時計、というか腕時計を中心としたユニバースなのだと思います。今はダイバーズが好きだけれど、2年後には解らない…のように、先行きの読めない「深さ」こそ、私がハマり、愛好家の皆さんが抜けられない「毒性」の正体なのです。

知れば知るほど奥の院への扉が開く「腕時計の世界」。飽きないというよりは「面白すぎて飽きてる暇がない」と言ったほうが正しいかもしれません。