腕時計喫茶

「微妙」な時計を愛してる

腕時計趣味における「サンクコスト」

特段、腕時計に興味がある訳ではない(少しは好きなのかも?)知り合いとメシを食いました。その際、例のモーリス・ラクロアの「Aikon39」以降も2本の腕時計を買ってしまったと懺悔しました。笑い話として。

 

[セイコー]SEIKO 腕時計 MECHANICAL メカニカル SARB033 メンズ

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 罪深きはこの2本です。

 

「Aikon39」「今年は買い納め!」と高らかに宣言したこのブログの投稿をその彼も読んでくれてたのですが、半ば途方に暮れた感じで「新しいのを買えばどうせ古いのは使わなくなるんだし、早めに売ったら?」とアドバイスされました。むむむ…(汗)

 

(;´Д`)「でもでも、そのうち出番がくるかもしれんわけよ?」とは私の言い訳。

 

(# ゚Д゚)「いやいや、お前絶対肥やしにするやろ?一秒でも早く売れば高く売れるやないかい!」とは彼の指摘。

 

彼に言わせると、それなりのお金を使って手に入れた際の「苦労」と、今後もしかしたら大活躍するかもしれないという「期待」が柔軟な思考を麻痺させて、結局のところ「未来の負債を生み出している」のではないか?とのこと。

 

う~ん…株やら投資やらが主戦場の彼らしい意見ですし、さもあらんとも思うのですが、コレクション物に限ってはちょっと違うのではないかと。恐らく彼が私に警告してくれたのは「お前さん金持ちってわけじゃないんだから『サンクコスト』とか引きずってるんじゃないよ!」ってことだと思います。

 

ちなみに「サンクコスト」とは「埋没費用」とも呼ば、事業などに投下した資金のうち、即時撤退したとしてもすでに回収不能になっている費用のことです。

 

腕時計のコレクションだと「ピン」と来ないかもしれないので、解りやすいインスタンスを示しますと…

例えば、貴方にちょっと面倒くさい性格のパートナーがいたとします。好きなんだけど何かとクセの強い人なので、このままだと将来が不安。結婚したら一生振り回されるかもしれない。しかし服やら宝飾品やら海外旅行やら、すでにかなりのお金を彼女(彼)に投資している。

 明らかな「将来の不安」が見えているにも拘らず、「貢いだお金」にこだわりすぎて一番大事な「先行き」の判断を誤ってしまう。「もったいない」の意識でダラダラと付き合いを続けた結果、取り返しのつかない状況に追い込まれる。

 

まぁこんな感じが「サンクコスト」を無視できなかった人が陥る「ドツボ」の典型なのですが、不安要素を取り除こうと追加投資を行って、さらなる深みに陥る人もいるらしいです。ひぃ(´∀`;)

 

「元を取らなければならない」という感情的な反射は誰しも持っているものですが、そのことが最大の「逆転のチャンス」をフイにするのだとしたら…それこそ本末転倒な事態です。「押さば引け」じゃないですが、愛着なり執着なりを捨てることが、最良の結果への最短の道であることは、「サンクコスト」を引き合いに出すまでもないと思います。

 

それでも、腕時計趣味で「サンクコスト」を考えてみると?

  私自身は、所詮個人の趣味に過ぎない腕時計蒐集の世界で「サンクコスト」なるものを意識したことはありません。しかし、腕時計愛好家の中にはリセールバリューを真っ先に考えて、さらには一番の「売りどき」とやらを計算する人もいます。もちろん、そういう人のおかげで中古市場の活況が保たれているのだということも理解しています。しかし、純粋な投資目的としての腕時計蒐集は除くとして、例えば「所有欲」だったり「達成感」だったり、時間経過とともに高まる「愛着」といった感情と、利益を追求した「売りどき」の折り合いをどこで付けるのでしょうか?

 

「買ってみたけどイマイチな時計だった。でも折角の大金を払ったことだし、今しばらく使ってみよう」…これって損失、あるいは無駄な時間でしょうか?

 

「サンクコスト」を考えすぎることで生じる継続的な損失は「コンコルド効果」とも呼ばれているそうです(知りませんでした)紆余曲折を経て運用にこぎつけた超音速旅客機「コンコルド」が、最終的には商業的に失敗してしまったことを元に名付けられたそうですが、イマイチな時計を見捨てずに使い続けることを「コンコルド効果」と同じに考えられると…時計好きとしては「時計ちゃんが可愛そうだよぅ」となります。我慢して使い続けることで予想もしなかった魅力があらわになって、自分の中の評価が180度反転したケースに幾つか覚えがあるからです。そしてその瞬間が「蒐集の醍醐味」なんじゃないかなぁ~と思ったりもします。

 

最初、私たちは「モノを選ばされ、買わされる」のです。そこには多くの「失敗」が存在し、それは広義で言うところの「サンクコスト」かもしれません。しかし、繰り返すうちに「自分自身が選んで、買っている」ことに気づきます。しっかりとした価値観が確立され、他人やマーケットに振り回されない買い物ができるようになっているのです。蒐集を通じた「人間的な成長」といっても良いのかも知れません。

 迎合する、しないではない普遍的な根っこさえあれば、モノの価値は自分だけのものであるということが解ると思います。特に「癖」にまで育った「愛着のある何か」に関してはなおさらです。

それは紛れもない「個性」ですし、相当変わった趣味だとしても必ず「同好の士」は現れます。そんな時はいわゆる「王道」を歩む人たちにはない特別な出会いの感動があるはずです。っていうかあります(笑)

 

私の蒐集の足跡は「サンクコスト」的にいえば、塩漬けされた無駄の見本市かもしれませんが、きっと何かの意味があるはずなのです。「万事計算通り」にいければ、そりゃあ最高ですけど、「回り道」とか「寄り道」が好きな男もいるのですから(;´Д`)