腕時計喫茶

「微妙」な時計を愛してる

「コピー」と「オマージュ」

ロゴや刻印、はたまた架空のシリアルまで入れて徹底的に似せまくった商品を「コピー品」と呼びます。コピー品には1円の価値もありません。間違っても買わないように(ΦωΦ)

 

Instagramで時計好きの方の時計ライフを参考にしようと思って見ていると、時々、「これは偽物ちゃうか?」といった写真を見つけることがあります。実際、最後まで書き込みを見ているとコピー品の販売サイトへの誘導だったりしてガッカリするのですが、何か変だな~と感じても、簡単に断定することのできないレベルまで作り込まれた「力作」もあり侮れないところです。ツッコミどころ満載の粗悪品がほとんどですけどね(;´Д`)

 

しかしこういった贋作が蔓延れば、業界は本物が売れるチャンスを著しく失い、購入者は本物に触れる貴重な機会を逸してしまいます。間違って手にしてしまった人が偽物の性能を本物の性能だと勘違いして、元ネタのブランドに良くない印象を持つ可能性もあります。偽物は本物の世界観とマーケットを破壊するウイルスのような存在です。

 

贋作とは違った意味で優れたテイストを真似た(パクった)デザインの時計をあちこちで見かけます。不動の人気を誇るRolexなどは被害者(?)の最たるものでしょう。少し離れて見れば完全に「デ◯トナ」や「サブマ◯ーナ」な時計の多いこと多いこと。それはやり過ぎなのでは…とこちらが心配になるほどの寄せっぷりをみせる時計もチラホラ見かけます。しかも、それなりのブランドが手掛けたものだったりして(;・∀・)

しかしこれらが「贋作」と呼ばれないのは、必ず自社ブランドのロゴを入れるからです。近くに寄って見れば一目瞭然でRolexではないと理解できるわけです。その最後の一線のロゴすら省いて敢えてグレーゾーンで勝負する時計もありますが、さすがにズルいような気がします…どことは言いませんが。

 

そういえば以前、「フランク・ミュラー」が「フランク三浦」を訴えるという吉本新喜劇のような裁判がありましたが、あの判決が時計業界の特殊性を現していてたように思います。簡潔に言いますと…

 

「お値段違いすぎだから気にするな」最高裁まで行ったそうです)

ということです。うん。その通りだ(笑)

 

実はこの判決には明確な「贋作はダメ絶対」の意思が示されています。つまり、フランク・ミュラーが欲しい人はフランク三浦では満足しないだろうから、似てるからといって、フランク三浦がフランク・ミュラーのマーケットを荒らすことはありえない。という前提。

 

 

※上はヴァンガード。下は「頑張るど」(笑)

 

ならば巷で「スーパーコピー」などと呼ばれる「贋作」はどうか?

それはコピーしたブランドロゴまでも精巧に真似ており、本来、本物を求めるべき購入者の自己満足をある程度「充足」してしまう恐れがあるのです。高級腕時計なんて自己満足の最たるものですから…購入者が「贋作」で満足してしまえばジ・エンド。「贋作」はブランドが長い時間を掛けて育んできた価格と価値の関係「WTPwillingness to pay)」を破壊しかねない恐ろしい存在なのです。

 

これがオマージュやトリビュート、つまり「可愛げのある模倣」との一番の違いです。そもそもフランク三浦の時計が100万円だったら買いますか?100万円のフランク三浦で満足できますか?そういうことなのです。WTPの持つ意味、つまりマーケットが全然違うのです。

 

デザイナーとしての意見を言わせていただければ、現代の時計の基本的なデザインは長い歴史の経過の中でパクリパクられたものです。有名ブランドの有名な高級時計だって、元を辿れば必ず「元ネタ」が存在します。それが解っている大人なブランドは、価格帯が違っていれば、見た目がよく似ていたところでいちいち目くじらを立てるような真似はしません。むしろ、本物への憧れを助長するものくらいにデンッと構えてるのではないでしょうか?突っ込みすぎると特大ブーメランを食らう可能性もありますから。

 

デザインは模倣の反復です。全く同じ服を着ていても着る人によって印象が異なるように、腕時計という小さな箱の世界で繰り広げられる模倣にも、関わった人やコストなどの諸事情によって多くの化学変化が起きているはずです。

「そっくりやなぁ~」と感じる時計に出会っても、きちんと自社ロゴを掲げてる限りは、大目に見てあげてください。有名画家の油絵を元にスケッチした絵を見るような、そんな味のある可愛い時計も沢山ありますから(*´ω`*) 

※これを許してるRolexは太っ腹です。でもちょっと気になる…DJと並べてみたい(笑)

 

では最後にもう一度。

「コピー品は絶対にダメです!」